幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

私という多面体

自分のことを、気が弱い人間だと思っている。とても親しい人からは、すごく気が強いと言われるし、たまに怖がられるけど。以前、友人と喧嘩したとき「私のこと馬鹿にしてるから、そんなことを言うんでしょう」と伝えたことがある。そしたら「違うよ。私はみことちゃんが怖い。」って言われた。超予想外だった。私、怖がられてんだって。

どちらかというとね、気が弱い自分を奮い立たせるために、戦闘モードに入らないといけないんだ。全てのお給仕を戦いだと思っていた頃もあった。今思うと、ちょっとウケるけど。メイド服は、戦闘服だった。鋼鉄を身に纏っているような気持ちで、闘志を燃やして、お給仕していた。(当時、私がいると店内に緊張感があったと言われたのだが、圧倒的にこれが原因なんだろうな。すみませんでした。)

気を抜いてかかると、ご主人様に倒される。みたいな感覚。分かるかなあ。ただ強気なお給仕をする、とかじゃなくて、精神面で自分が勝っていないと、エンタメ的に楽しませることなんかできないよな、と。私は相手の言葉にすぐ傷つくし、突っ掛かりたくなる。そういう時、自分の気持ちが負けていると、相手のペースに呑まれて、うまいこと頑張れなくなる。詰まるところ、精神的な揺らぎが、表に出やすい。それが嫌だった。常に自分のペースを保ちながら、他人に流されないように、パーフェクトなお給仕をしたかった。お給仕のたび、自分に点数をつけていた。なんのために、こんなに勝ちに拘っていたのか、今では分からない。自分自身に課した制約が多すぎて、毎日苦しかったし。(多分、子供だったので、ストレスの受け止め方や発散の仕方がわからなかった。今ではうるせーって怒って済むようなことでも、当時はいちいち何日も傷付いては、家で泣いていたので)


今は全然こんなことないんだけどね。だいぶ穏やかになった。戦いよりは、握手がしたい(精神的に)。勝ちに行くよりも、コミュニケーションが取りたい。

しかし、まるくなった今でも、やっぱり人生のことは戦いだと思ってしまう。なにと戦っているかは分からないし、明確な勝ち負けがあるわけじゃない。なにかあるたびに、漠然と、勝ちに行こうと思って臨む。自分のやり方で、人から評価されたい。これが自分なのだという証明を繰り返して、自分の血や骨に変えてゆきたいのだ。

考えるのが苦手だから、たくさん考える。組み立てるのが苦手だから、先に形から作る。直感的に答えを出してから、論理を探す。自分が分からないから、証明しながら形にしてゆく。ブログも証明のひとつである。自分の型をたくさん作っていけば、勝手にぼんやりと見えてくる。そうやって、パターンでしか物事を見つめられない。多面的に組み立てることで、立体的な私が生まれる。お給仕、ツイッター、ブログ、歌やダンスも絵も、全部含めて、私という多面体。どれかひとつで、知った気になられたくない、みたいな気持ちで作っている。

私は自分の直感を信じて、勝ちにゆく。それらを証明として、自分を作ってゆく。


しかし、証明を重ねるごとに、強固になってゆく私の存在は、同時に、もろくなっていくような感覚がある。私という多面体の中に入っているものは、なんなのだろう。と、毎日怯えている。それなりに長くお給仕を続けて、アイドルなども経験して、それなりに積み重ねてきた私という箱。フタを開けたら、とんでもなく小さくて、よわよわの子供がいるような気がしてならぬ。不安だな。誰にも見せたくない。怖いから、今日も勝ちに行く。私は気が弱いので。

生きるのだ

亡くなった人のことを考えていたら、辛くなってしまった。でも、もし今、私が亡くなったら、同じような思いをする人がいるかもしれない、と思うと、生きようと思えます。

今、すごく苦しいから、絶対に同じ思いをさせたくないです。人生に取り組みます。

私は元気です。大丈夫。頑張るよ!

めっちゃ元気だよ!!

先日、久しぶりにお会いした方に、最近どう?って聞かれたから「めっちゃ元気だよ!!」とお答えしたら、元気なのにあんなブログ書けるんですね…と言われた。爆ヮラ。とても健康じゃなさそうなブログしか書けなくて、ホントごねんね〜と思っている。いや、そんなに思っていない。ちなみに、これは煽りじゃありません。

まあ最近は、本当に、概ね健康でした。ちなみに私にとっての健康、メンタルが占める部分がけっこう大きいので、ちょっと体が辛くても、心が元気なうちは、全然健康の範疇だと思っている。だから超元気、とお伝えした。

が、ここ一年くらいね、体が追いつかないことが増えました。体調管理、以前に比べたら、だいぶ上手くなったんだけどなあ。病院に行くという発想がない家庭で育ったので、病院に行けるようになるまで、結構時間が掛かりました。もう行けます。

そんな感じで、今日も体がダメになりました。心は健康です。体が弱ると、少し弱気にはなりますが、愚痴っぽくなりそうな自分を、どうどうと宥めている。だから今日は、元気のない人が書く、元気のないブログです。爆ヮラ。

 

さて、ここ最近はかなり前向きに、楽しくお給仕できていた。前よりも、いろんなことが前進しているような。上手く行かない焦り、みたいなものは、そんなになかった。ただ、もっとこうなってほしい、みたいなのは、たくさんあるんだけど。自分にできていて欲しいことが、毎日完璧にできるというわけには、当然いかないですよね。些細なミスを思い出しては、あーあ、と思う。

全体的な、ざっくりとした手応えはあるんだけど、私自身が追いつけていない感じがあった。お店自体は、すごく良い感じだと思います。今のミルプラ秋葉原店、前よりも面白い店になってきたんじゃないでしょうか。秋葉原専属の新人メイドさんたちは、みんなとっても良い子です。本当にそう思う。楽しそうにお給仕してくれて、真面目に頑張ってくれて、なんだか私の方が救われています。メイドさんたちを見ていると、とても癒される。この子たちがもっと素敵なメイドさんになれるように、お手伝いできるような自分でいたいなと、毎日思います。私以外みんな3ヶ月以内のメイドさんたち、みたいなメンバーの日も少なくないですが、それでもお店の空気は良い感じになってきました。きっとメイドさん方のおかげです。感謝しかない。

先程ふわっと述べた通りね、今の不安は、私自身がいちばんの問題です。ざっくり言うと、生誕のこと決めなきゃ、とか、もっとSNS頑張りたいな、とか。まあ本当に色々。課題は本当にいくらでもあります。あるって分かってるんだけど、どうやって頑張っていたか、どんなふうに物事を決めていたか、分かんなくなってきているんですよ。あれ?もしかして不健康では?でも、気持ちは前向きなんだよね。うーん。なんだろうね。

毎日感謝でいっぱいだし、幸せなんだけど、私の脳みそは、うまいこと動けていないのかもしれないなあ。こんなこと言うのも良くないけど、めちゃくちゃ漠然とした不安に、突然襲われるんです。なにか不幸なことが起こるような気がする、とか、誰かに恨まれてる気がする、とか、そんな恐怖。昔経験した、嫌な思い、人に責められたような記憶。これらをね、家で1人でいる時、ふと感じてしまう。思い出すと言うか、感じるんです。突然溢れてくる。シャワーを浴びているときや、ぼーっとしている時。怖くなって、突然知らないものに襲われるんじゃないかって、慌てて気を紛らわす。考えるのが辛くて、やりたいことも進まなくて、YouTube見るくらいしか出来ない。あれ、しっかり困っているかも?もしかして、ちょっと元気なかったかも。書いてて気づいた。やだも〜!

将来が怖いとか、なにかはっきりした人に怯えてるとかじゃなくて、見えないなにか。おばけを怖がる感じとかに近い。ので、余計に嫌なんです。この感じ、なんなんでしょうね。多分、疲れていたんだろうね。私からすると、何に?って感じですが、この真っ只中で、体をダメにしてしまったので。この2日間とも病院に行って、はっきりした結果が出なくて、また明日も行かなきゃならんのだ。だるだる。インフルやコロナの検査は2回もさせられた上で、どちらも陰性だったので、ご安心くださいね。もう熱もないので、元気に動けるはずなんですが、いやですね。


あ、ちなみに、特にオチはないです。健康だと思って暮らしていると、健康があまり近くにいないこと、結構ありますよね。と言いたいだけ。一行で済むやんな。近頃の私は、目に見えない負の概念のようなものに怯え、飲酒もあまりできず、体もダウンして、思ったより不健康でした。貴方が思うより健康です、みたいなタイトルのブログ、投稿したばっかりなのに。お恥ずかし…。

本当はこの時期にやりたいこと、色々あるんですが、なかなか集中力が湧きません。勉強したくて、学校の資料とかも取り寄せているのだが、それも宙ぶらりんのまま。これじゃあ、入学に間に合わない。いろんなこと、無理やりやっちまえ、とは思うんだけど、どこまで無理して良いんだろうなあ。無理することで迷惑をかけること、かけないこと、多いような気がして、気軽に判断ができない。悩みまくり。

やっぱり自分のことってよく分かんないままだな。散々、自分のことを考えて、ブログにまで書き散らかして、視覚化して分かりやすくしてるつもりなんですけど、自分の限界とか体調について、完全に理解することは、決して簡単じゃないね。最近周りに元気のない人が多くて心配していたら、自分も元気じゃなくなっていました。とほほ。皆様も、体の健康には気をつけてくださいね。心が前向きでも、体が元気じゃないと、こんなにも、もどかしいのだ。みみみ。

 

震災を受容せよ

地震、怖かったね。すごく揺れた。めちゃくちゃ揺れた。久しぶりに「これはまずいのでは」という気持ちになった。私の部屋は多少丈夫なので、大丈夫であることを願いながら、部屋中を見つめ回し、早く止まれと祈り続けた。

そう、祈るくらいしかしなかったのだ。愚かなり。こういう時、防災訓練ってなんの役にも立たないなと思う。パニックに陥った時、意外と何にもできない。みみみ。

人は問題が起きた時、対処する前に一旦「受容」をすることを、最近改めて知った。受容できたら次に進めるんだけど、ここを超えるのが意外と大変そう。災害とかは、受け入れることからもう難しいと思うので。誰だって、めちゃくちゃ嫌じゃないかな。なんにもしてないのに、ただ怖い思いをするなんて、思いたくないよ。そもそも、超突然くるし。あまりにも理不尽さん。


私は地震がくるたびに「しょうもない震度であれ」と願うことしか、していない。自分が被害に遭う可能性を視野に入れたくないんだろうな。今日は、万が一本当にまずかった場合どうしようかな、と思って、思考を巡らせようとしたが、マーーーージで何もできなかった。地震が起きてる時の脳内、今思い返すとカオスでした。

「思ったよりやばいかな」「家具めっちゃ揺れてる」「落ちてきそうなものや倒れそうなものを押さえねば」「冷蔵庫やばい揺れ方してる」「でもこれ押さえてる間にもっとやばいもの倒れてきたら困るからやめとくか」「とりあえずまな板デカイからどかしとこ」「え、これ外に出た方がいい感じ?」「他住民に会ったことないし嫌だな」「初対面が地震かつショッキングピンクのパジャマ(動物柄)姿なのは、本当に嫌だな」「ていうかこんだけ揺れるってことはもっとやばい地域あるやろな」「みんな大丈夫かな」「もうやだな」「早く終われ」「早く」「あ、スマホの充電全然ない」……。

多動脳ワイ、Twitter片手に、部屋の中心で立ち往生。こんな感じで連想ゲームしている間に地震が止まり、結局なにもできなかった。受け入れ体制、一切整っていないことがよく分かりますね。どうにかなったから良かったけど、どうにもならなかったら終わっていたなあ。みみみ。

3.11の時も、物が倒れたらやだな〜くらいの感じで、家の食器棚押さえてぼーっとしてて、父にキレられた記憶がある。父は災害を人一倍恐れている人で、震度2くらいの地震だろうが飛び起きて、家族全員に注意喚起を促しにくる(し、聞かないとめちゃくちゃ怒る)。今までは「パパ、ウゼー↓」くらいにしか思っていなかったが、正しく警戒することは本当に大切かもしれないな、と今回思ったよ。


そうそう、地震が来るたびに思い出す。3.11のあの日。私は当時、やりたくもない生徒会役員だった。本当に、なんかの手違いでなってしまった。

生徒会役員の皆様は、全員あまり頭が良いわけでもない(ばっさり)のに、なぜかとてもやる気だけはあり、すぐみんなで集まりたがり、簡単な仕事に何時間もかけられる感じの陽キャ軍団だった。文化部最下層陰キャの私は舐められていたので、なにかのきっかけで「ダンスが好きです」と言ったところ、会長に爆笑されたことをいまだに根に持っていて、当時から生徒会の人たちがかなり嫌いだった。

あらゆる生徒会活動を、適当にサボりまくっており、3.11当日も「今日はなんか用事があったような気がします〜」とか嘘ついて帰宅した日だった。普通に自宅で東方花映塚をプレイしていた。画面とゼロ距離で見つめ合っていたら、とんでもない揺れが来たので、あわててポーズした。揺れが収まった後もゲームどころじゃなく「ポーズした意味なかったな」と思ったことを、よく覚えている。

後で聞いた話だが、真面目に出席されていた役員の皆さんは、帰宅難民になった方も居たらしく、結構大変そうだった。私はサボったおかげで結構大丈夫だったので、やってやったぜみたいな気持ちになった。嫌いな人たちと長時間学校に閉じ込められたら、心が死んでいたので、あの日ばかりはサボって正解だったな。いや毎回サボってたけど。そんな思い出。


こんなくだらん思い出しかないくらい、私は恵まれた環境で暮らしている。いつか本当にまずいタイプの地震が来たとき、死なないように気をつけないとなあ。一人暮らしだし、なにかあったらいよいよまずいので、せめて防災バッグでも作ろうかな。今のうちに震災を受け入れて、対策しておかないと、次こそ命を落とすね。Twitter見てる場合じゃないわよ。ほんとに。

 

 

生活

唐突に、生活を頑張る気力が湧いた。最近、あんまり生活していなかった。実家でだらだらするか、なにも見ないふりして、無理やり暮らしてた。

今日は帰宅してすぐに洗濯をした。ゴミを捨てた。テーブルを拭いた。部屋が少し、広くて綺麗になった。かなり偉い。

まったくできなかったこと、やる気になれた。それだけでも立派。

生きていることはすごいこと。私は生きている。生きているので、生活する義務があるし、幸せになる義務がある。べつに頑張らなくて良いけど、恵まれているなあと思うのだ。恵まれているのだから、もう少しやる気出そうかな。みたいな感じ。


この部屋で暮らし始めて半年くらい経つが、ストレスでだめになり、実家に帰省していた時期もある。最初に欲しいと思った家具の半分も揃えられていない。未だに座椅子もクッションもカーペットもない。ワハハ。

最近、気付いたけど、生活に興味がない。今、家にあるもの、すべて手放しても、それはそれで、そんなに落ち込まない気がする。わりと無頓着だな。テーブルとベッドとゴミと多少の調味料しかない家。いっそミニマリストを目指そうかな。


なにかを持っていることが、やっぱり苦手かもしれない。たくさんあっても、整理できないし、すぐ無くすから、悲しくなる。私にふさわしくない。素敵な化粧品も、可愛い雑貨も、全部どうせ無くしたり壊したりするんだろ、と思う。幼少期の私は、注意力が散漫/集中力がなかった。ランドセル忘れて帰宅したり、学校中に私の荷物が落ちていたり、なんかそういう子供だった。今は対処法を少し覚えただけで、本質的にはあまり変わらない。物も友人も感情も、持っているだけで苦しくなる。執着するわりに、取りこぼしが多くて、嫌になっちゃうんだよ。何言ってんだわたしは。酔っ払いじゃないですよ。

 

なんにも持たずに暮らしてみたいな。きっとそれは難しいから、本当に必要だと思うものだけ、手の内に置いておきたい。守り切れないほど持っている、と思い悩んでいたものたち、その中で、いったいいくつ必要なんだい。断捨離断捨離。今年はちゃんと断捨離したいね。

 

 

おだやかなおやすみ

今日はおやすみだった。おやすみおやすみ。何度でも言いたい。おやすみっていいよね。おやすみ大好き。おやすみ、という言葉の音色からして、もう好き。とってもやさしい響き。


お給仕が嫌なのではなく、シンプルに体力がないので、おやすみがないとつらいのだ。慣れない13時出勤、あからさまな体力不足、うまいこと寝て起きれない今の私にとって、おやすみは必要不可欠。カレンダー通りに暮らしている方、本当に尊敬するもの。5連勤、2連休、私からすると、アンバランス。うまく暮らせる自信がない。思えば学生の頃から、金曜日が近づくにつれて、体が終わっていった。

しかし、2連休ってどうやって使えば良いのだろうね。休みすぎると「なにもしなかったな」という凹みがくるし、動きすぎると「休めなかったな」という反動で体がバキる。1日なら何したっていいや、と思えるのに、2日って1日が2回あるからね。なにしても「これは正解の過ごし方だったのか」と思ってしまう。うまく使えない。遊ぶために2連休取る、とかは、すごくリフレッシュできるのに。


あ、2連休がある時点で、なにをするか予定を立てておけば良いのかな💡。そしたら凹まないかも。無数にある選択肢の中から、土壇場で「疲れるorだらける」を選んでしまった、と思うと、悲しいんだろうな。もっと上手くやれたのでは、と自分を責めてしまう。

休む日は休み、遊ぶ日は遊べばいいのか。気分なんか日によって変わるので、事前に考えておく意味があるのか、分からないけど。もしかして、みなさまそうやって暮らしてる?(こういう当たり前のことを、独り言のように、つらつら並べることで、見えなかった「当たり前」が見えてくる。嬉しいねえ。だからブログ書くのって好きなんです)


今日のお話をしましょう。土壇場で決めたわりに、かなり正解のお休みだった。といっても、大したことはしておらず、母と飲みに行っただけ。

私は家族と飲みに行くのが好き。特に母とは、年々会話するのが面白くなっている。数年くらい前まで、母のことが一切理解できなかったが、最近は「私はこの人の子供だな」と思うことが増えた。

母はかなり面白い人で、年齢より10歳くらい若く見えるし、感覚もすごくフレッシュ。加齢による視野の狭さとかも一切なく、常に時代や本日をしっかり見つめている。絵と音楽を愛し、言葉と感性を仕事にし、広告業界でバリバリ働いていた人。明るく話し、ムードメーカー的な雰囲気を持っており、子供の私から見ても素直にすごい人だと思う。


母は昔から、私のことをたくさん褒めてくれる。あなたの感性は面白いよ、文字を書く仕事をしたらいい、と言われて育ったけど「ただの親バカでは」と思って、まったく無視してきた。最近になって、私がブログを書くようになり、母は「ほらね」みたいな顔をしている。ような気がする。

言葉を仕事にしていた人に、文章を褒められるのは、すごく嬉しいこと。今日も褒めてくれた。あなたは言葉を仕事にできるよって言ってくれた。そんなふうに思って、文章を書いているわけじゃないが、そんな褒め方をされたら、どうしても嬉しいよ。


そういえば少し前に、私のブログを読んだ弟も、同じようなことを言ってくれた。こんなに本筋から逸れずに、こんなに捻くれた文章を書けるのはすごいねって。みんな、褒めすぎだと思う。これは自慢じゃなくて、本当に怖いから書いているんです。自分のことをそんなに褒められると、怖くなる。

何が怖いって、自分は学もなく、それっぽく見せることしかできず、裏付けのない言葉を垂れ流しているだけだから。評価されたって、その先はあるのかな。そう思っているし、すごく気にしている。(というか、最近いよいよひどく気にし始めてしまい、文章を書くことも、人と会話をすることも、以前より困難になってしまった。助けてくれ)

私はそのとき、素直に伝えた。「そんなふうに評価されることが怖い。最近、人から褒められすぎている気がする。本当の私は、みんなが見えている部分よりも小さくて、なにもない。持ち上げられすぎて、いつ底の浅さが透けてしまうのか、毎日不安に思っている」と。それを聞いた弟は、爆笑していた。

「お前のそういうところは人間らしくて良いと思うし、そう思っておけばいい」と言われた。なんか、こんな感じで良いっぽい。母もそれで良いと言ってくれた。不安そうにしているくらいが良いらしい。全肯定家族。ありのまま。ありがたい。


友達は多くないし、人と関わるのは得意じゃないから、あんまり人が周りにいない。そんな私が、安心して関われて、さらに認めてもらえるって、すごく貴重なことだ。

今や、良い家族だと思えるが、数年前まで、ほんとにまったく好きじゃなかった。子供の頃は、家族との関わり合いで、なにか救われると思うことはなかった。父も母も、すこし癖がある人なので、幼少期は、ひどく怯えていた。トラウマのようなものたち、当時できなかったこと、知らなかったこと、そのせいで生まれた歪みたちを、生育環境のせいにしたくなっていた時期もあった。いまだって、許せないことや、苦しかった記憶は、全然のこっている。

が、この歳になって、まともに関われて、いつでも帰れる場所があるっていうのは、とっても恵まれている証拠だな、と思う。私は、自分の感覚を認めてくれる人が、一番安心して関われる存在。なにかおかしかったらどうしよう、と、毎日おびえて暮らしているので。人と話すたびに、うまくできていたかな、と、何日間も不安が反芻する。一週間でも一ヶ月でも一年でも、不安な気持ちが忘れられない。普通に毎日じんわり辛い。(改善しなきゃね)

常に、人様を怒らせないか、失礼がないか、とっても不安。だから、飾らないままで良いのか、と思える人の前では、なにも辛くない。私にとって、とてもありがたいこと。無条件で認めてもらえる場所が、自分の家にあってよかったな、と、心から思う。


安心できる家族と酒を飲み、酔っ払い、ありがたみを実感しながら文字を書ける。こんなに素敵なおやすみがあって良いのかしら。今日は少しだけ前向きになれた。次のおやすみまで、また頑張れます。

 

 

本日のまとめ 2021.02.06

・今朝は、最悪だった。目が覚めたら、家を出る時間だった。慌ててベッドから這い出る。あまりの時間のなさに、機嫌も最悪。キレながら家を出る。電車に乗り損ねる。ぁゎゎ。本当はお給仕開始の1時間前くらいには着きたいのに。早起き、どんどんできなくなってる。心機一転、早寝早起きを頑張ろう。


・やっぱり疲れてるのかな〜。何に?いや、考えなきゃいけないことは多いけども。頭の中のぼんやりとした悩みの8割は、店長・副店長就任イベント&自分の生誕のことかもしれない。「どうなるのかな…」「これでいいのかな…」という不安は、かなり大きなストレスのような気がする。早く決めれば楽になるかも。早く決めます。

・今年も去年も、世間がこんな感じなので、もう悩んでも仕方がない。全てのメイドさんは、生誕前、どれだけ多くの人が遊びに来てくれるか、すごく不安を感じているでしょうね。私もそう。だけど、もう考えてもしゃあないのだ。自分が良いと思えるようなことを胸張って出せば、もうそれで良いのかも。というか、常にそうしてきたかも。頑張ろうとしすぎると、視界が狭くなって、失敗しやすい。目先の結果に捉われて、なにか成功したこと、あまりないから。気をつけよう。


シャンパン特典、たくさん付けるの苦手。こういうの、どんどん店舗内競争みたいになって、いろんな特典が出てきて、キリがなくなる。私らしくて、オリジナリティがあり、ごちゃっとせずに、シンプルで分かりやすいのにしたい。求めることが多い(だから決まらない)。

・去年は、自分の黒歴史を特典にした。中学生の時に描いたギャグ漫画。読んで欲しいわけじゃないけど、みんなこういうの好きかなと思った。なんだかんだ、シンプルで良かったなあ。妙にウケたし。

・昨年はイロモノ感強かったので、今年の生誕は、まったく違う毛色がいいな。立場も変わったし、まあ、一年経てば色々変わる。今までとは違う感じにしたい。


・まともな食にありつけたのが、一時間前くらい。今日の夕飯は、ファミマの油そば(豚骨醤油味)にした。妙にうまかった。チンの魔法で作るタイプの麺類、まずいと思ってたんだけど、うまかった。びっくり。すごいボリューム感だったのに、はらぺこちゃんだったからなのか、完食できたよ。逆に、ちょっと引いた。

・最近、やっぱり食欲が増幅してる。体調が少しバグってるせいなのか。健康って本当に難しいよ。そう思うと、一月はめちゃくちゃ健康だった。たくさん酒も飲んだし、めちゃくちゃ出かけたし、コンカフェもばんばん行った。今月はまだ全然くたばってるだけ。

・多分、体調不良に敏感です。体の調子が悪いと凹む。なんか、凹むんだよな。自分が健康で美しくないと、とても悲しい。かわいそう。

・数年前、全身にひどい蕁麻疹が出て、医者に行ったとき、第一声で「これはひどいね〜笑」って言われて、本当に泣くかと思った。悪意がないことは分かっていても、私のよわったメンタルには、クリティカルヒット。自分の肌が汚いのなんて、誰だって嫌でしょうがないに決まってるのに、なんでそんなに無神経な言い方するんだよ、と思った。自分の肌を酷いと言われたことに、酷く傷つきましたよ。この場合は「かなり症状が強く出ていますね。辛かったでしょう。でも〜〜〜すれば大丈夫ですよ」くらいの言い方されないと、許せないんだが(要求高め)。

・できることなら、まいにち自分を最高に美しく飾り、よく笑い、よく眠り、前向きな心で暮らしたい。かなり難しいので、この中のどれかひとつでもできてたら、かなり良い方。


・どうでも良いけど、髪切ったり染めたりしたいなあ。もうルーク・ハントと同じ髪型になりたい。毎日3回くらい思ってる。いろいろ不安だから、しないけどね。


・今日もソファーで寝落ちしてしまいそう。布団までたどり着けない。布団までたどり着いても、アイマスクをつけるところまでたどり着けない。そんな毎日。

・マスクとアイマスク、両方つけると、かなりあったかくて乾燥しない。おすすめです。蒸気でホットアイマスク、サブスク制にならないかな。毎週勝手に届けて欲しい。


・スミオヤオヤスミ。