幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

存在している

本日から一週間ほど、お給仕しているメイドバーをお休みすることにした。なにをするわけでもなく、家に篭っている。新型コロナウイルスの感染予防のために。

 

私の自宅は勤務地から近いわけでもないので、通勤中に感染・他人に移すリスクが高い。そして実家の都合により、もし家族が誰か一人でも感染した場合、家族全員が路頭に迷ってしまうかもしれない。

さらに心配性の母親からの猛反対、かなり高齢の祖母も同居中、様々な事情を考慮して、休むべきだと判断した。

 

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↑お給仕に行く度、ぬるめの温度感で引き止めてくる母親のLINE

 

実家暮らしだから休まざるを得なかったが、実家暮らしだからこそ稼ぎがなくても引き篭もれる矛盾。実家を出て暮らしているから生活がかかっている人、休みたくても休めない人、いろんな人を見かけては胸が痛くなる。自分はぬるい環境で暮らしているのだなと改めて思い知らされる。

今の自分にできることは、家で大人しくしていることだけなのだ。なんとも歯痒い。

 


さて話は変わるが、私は今のお店で副店長になって以来、一週間もお給仕しなかったことは今まで一度もなかった。それと同時に、今のお店において、自分というメイドに一番価値を感じるのは「いつ行っても会える安心感」だと思っている。

推してないけどよく知っている、話せるメイド。いつでもお給仕している、いつでも会いに行ける推しメイド。そういう日常に寄り添えるような安心感。

メイド人生で多く言われた言葉ランキングTOP3に「最初は苦手だった」という言葉も入ってしまうような私だからこそ、いろんな人と少しずつ仲良くなっていくのが一番向いている気がするのだ。


たくさんお給仕していることは、私のアイデンティティに直結している。だからこの状況はちょっと不安だ。

 


飼っていた猫が死んだとき、私は最初に声を思い出せなくなった。次第に仕草、触った感触、表情、いろんな記憶が曖昧になっていった。ただ見なくなってしまっただけで。10年以上一緒に暮らした家族のことを。

人の記憶はこんなに呆気ないのだなと悲しくなった。

 


私も猫と同じように、一週間も会う機会がなかったら、いろんな人に忘れられてしまいそうだなと思った。忘れるというのは、私という存在そのものが記憶から消却されることではなくて、私と会ったときに感じた熱、知らないうちに下がっちゃわないか?みたいな意味合い。


あんまりぐちゃぐちゃ書くと、メンヘラみたいだな。メンヘラじゃないよ(断言)。ただ私と会わないうちに「もういいや」と思われないかが、ちょっとだけ不安なんだ。私はご主人様方の日常に寄り添いたい、または心の拠り所でありたいと、いつでも強く願っているんだ。でも今は願えないんだ。

 


こんな時だから、お給仕もできないし、会いにきてって言えない。誰もが自分で考えて、自分で選択し、自分のために行動するべきだと思う。

私は普段たくさん書けない言葉を、ブログに綴っていけたらいいなと思う。存在していることを忘れないでね。

 


(病んでないよ)(落ち込んでないよ)(元気にメルカリでswitch liteの販売情報を探しています。転売ヤー多すぎて腹立ってきますね。)