幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

ファッションなんて大嫌いだよ

以前、私は服を買いにいくことが苦手だった。どれくらい苦手かというと、服屋に行くと体調を崩してしまうくらい。人混みや長時間の外出が苦手な体質というのもあるが、それ以上に服を選ぶ行為が本当に嫌だった。

自分の体型をすごくダサいと思っているので、こんな体のために金を使って服を与えたくない。しかしなるべく良い容姿でいなくてはいけない(と思い込んでいる)。そのためには万人が不快にならないような服を買わないといけない(と思い込んでいる)。


服屋に入店し、体型を考慮しながら服を選ぶ。社会に馴染むためだけに。試着室で慣れない布と肌の摩擦によるストレスに耐える。更衣室を出たときの「いかがですか」に対する適切な反応を必死で考える。(これの正解はいまだにわからない) 会計をする頃には、レジで店員と接するわずかな会話すらもストレスになってしまう。

なんでこんなに辛いんだろう。なんでこんなことしなきゃいけないんだろう。買いたくない。でも買わないといけない。買いたくない。この無限ループ。

結果、体がものすごく疲労して、酷いときは精神状態も悪化する。最悪だ。ただ、服を買うだけなのに。人間は誰しも、あたりまえに服を着て外出しているのに、私には購入することもできないのだ。


服がダサい、汚い、そう言われるときもあった。ポケットに穴が開いてたり、ボロボロの靴を履いてたり、意味のわからない組み合わせをしたり。これも全て、ファッションに対するストレスが強すぎたせい。わからない・興味がないことを頑張れなかった。

 


一度だけ「社会に馴染むために」「ファンに喜んでもらうために」、自分の気持ちは一旦無視して、まあ無難な服を頑張って着ていた時期もあった。メイクや髪型もナチュラルに。一般的なかわいいとか、女の子らしい雰囲気とか、そういうものに寄せてみた。全然好きな自分じゃないけど、そうするしかないと思った。

そんなことをしばらく続けたら、精神のバランスをおかしくしてしまった。なんだか自分が他人みたいに思えてきてしまった。「あ、これは良くないぞ」と本能的に察知して、思い切って全部諦めることにした。

 

f:id:midorofu:20200404070909j:image

↑自我が崩壊しかけた時期のファッション

 

無理をしてはいけないんだなと思い、自分の心にとって自然なメイクや髪型でいることを心掛けた。人前に立つのなら、人の求めるものを提供しなくてはいけないのにと思う反面、そうするしかないとも思った。気持ちはだいぶ楽になった。


そして、服を購入するストレスを決定的に無くしてくれたのは、古着との出会いだった。古着屋で柄シャツを眺めているときだけはワクワクした。はじめて服選びが楽しいと思った。「外を歩くための服を買う」という行為が「気に入った模様を身に付ける」という感覚に変わったのだ。

女性らしくいようと、体型に合わないからと避けていた服たちは、私が着てみたいと思っていたものばかりだったことに気付いたのだ。ならばいっそ、性別や世間体などは考えないで、着たいものを着たいように着てしまおう。

オーバーサイズの古着は試着をしなくても買えるので、ネットで購入することもできるようになった。買った洋服たちに合わせたアクセサリーや髪型を選ぶことで心が満たされた。

思い切って買った古着たちは、私の人生を豊かにしてくれるアイテムになった。


まあここまで通して読んでいただければ分かるように、私はファッションが好きなわけではない。得意でもない。というか苦手だ。難しいことはなにもわからない。ブランドも着こなしも知らない。ただ身に付けたいものを身に付けると、自分の好きな自分でいられるからそうしてるだけ。


今は髪型やメイクを考えるとき、自分の好きな自分でいられるかどうかをいちばんに考える。こうした方が喜ばれるかな、とかは、良くも悪くも考えなくなった。自分の好きじゃない自分を見て喜ばれても、ちっとも嬉しくないから。多分、人のために自分の見た目を決めていたら虚しくなっちゃう。だから見た目に関して、人の意見は聞かない(ばっさり)。

 


そういえば 私が思っているよりも、私の見た目を好きでいてくれる人が居るのかなと思うような場面、たまにある。

そんな人たちはきっと気が合う。私は常に自分の好きな自分でいるからね。

 


これからも私の好きな私を見ていて欲しい。

 


f:id:midorofu:20200404071320j:image

↑最新の自撮り。旅行先のホテルで、館内着を気に入って購入し、そのまま私服にした。

 

 

したくない格好は、もう絶対にしない。今の自分をいちばん好きでいられるように、日々精進しなくてはならない。