幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

震災を受容せよ

地震、怖かったね。すごく揺れた。めちゃくちゃ揺れた。久しぶりに「これはまずいのでは」という気持ちになった。私の部屋は多少丈夫なので、大丈夫であることを願いながら、部屋中を見つめ回し、早く止まれと祈り続けた。

そう、祈るくらいしかしなかったのだ。愚かなり。こういう時、防災訓練ってなんの役にも立たないなと思う。パニックに陥った時、意外と何にもできない。みみみ。

人は問題が起きた時、対処する前に一旦「受容」をすることを、最近改めて知った。受容できたら次に進めるんだけど、ここを超えるのが意外と大変そう。災害とかは、受け入れることからもう難しいと思うので。誰だって、めちゃくちゃ嫌じゃないかな。なんにもしてないのに、ただ怖い思いをするなんて、思いたくないよ。そもそも、超突然くるし。あまりにも理不尽さん。


私は地震がくるたびに「しょうもない震度であれ」と願うことしか、していない。自分が被害に遭う可能性を視野に入れたくないんだろうな。今日は、万が一本当にまずかった場合どうしようかな、と思って、思考を巡らせようとしたが、マーーーージで何もできなかった。地震が起きてる時の脳内、今思い返すとカオスでした。

「思ったよりやばいかな」「家具めっちゃ揺れてる」「落ちてきそうなものや倒れそうなものを押さえねば」「冷蔵庫やばい揺れ方してる」「でもこれ押さえてる間にもっとやばいもの倒れてきたら困るからやめとくか」「とりあえずまな板デカイからどかしとこ」「え、これ外に出た方がいい感じ?」「他住民に会ったことないし嫌だな」「初対面が地震かつショッキングピンクのパジャマ(動物柄)姿なのは、本当に嫌だな」「ていうかこんだけ揺れるってことはもっとやばい地域あるやろな」「みんな大丈夫かな」「もうやだな」「早く終われ」「早く」「あ、スマホの充電全然ない」……。

多動脳ワイ、Twitter片手に、部屋の中心で立ち往生。こんな感じで連想ゲームしている間に地震が止まり、結局なにもできなかった。受け入れ体制、一切整っていないことがよく分かりますね。どうにかなったから良かったけど、どうにもならなかったら終わっていたなあ。みみみ。

3.11の時も、物が倒れたらやだな〜くらいの感じで、家の食器棚押さえてぼーっとしてて、父にキレられた記憶がある。父は災害を人一倍恐れている人で、震度2くらいの地震だろうが飛び起きて、家族全員に注意喚起を促しにくる(し、聞かないとめちゃくちゃ怒る)。今までは「パパ、ウゼー↓」くらいにしか思っていなかったが、正しく警戒することは本当に大切かもしれないな、と今回思ったよ。


そうそう、地震が来るたびに思い出す。3.11のあの日。私は当時、やりたくもない生徒会役員だった。本当に、なんかの手違いでなってしまった。

生徒会役員の皆様は、全員あまり頭が良いわけでもない(ばっさり)のに、なぜかとてもやる気だけはあり、すぐみんなで集まりたがり、簡単な仕事に何時間もかけられる感じの陽キャ軍団だった。文化部最下層陰キャの私は舐められていたので、なにかのきっかけで「ダンスが好きです」と言ったところ、会長に爆笑されたことをいまだに根に持っていて、当時から生徒会の人たちがかなり嫌いだった。

あらゆる生徒会活動を、適当にサボりまくっており、3.11当日も「今日はなんか用事があったような気がします〜」とか嘘ついて帰宅した日だった。普通に自宅で東方花映塚をプレイしていた。画面とゼロ距離で見つめ合っていたら、とんでもない揺れが来たので、あわててポーズした。揺れが収まった後もゲームどころじゃなく「ポーズした意味なかったな」と思ったことを、よく覚えている。

後で聞いた話だが、真面目に出席されていた役員の皆さんは、帰宅難民になった方も居たらしく、結構大変そうだった。私はサボったおかげで結構大丈夫だったので、やってやったぜみたいな気持ちになった。嫌いな人たちと長時間学校に閉じ込められたら、心が死んでいたので、あの日ばかりはサボって正解だったな。いや毎回サボってたけど。そんな思い出。


こんなくだらん思い出しかないくらい、私は恵まれた環境で暮らしている。いつか本当にまずいタイプの地震が来たとき、死なないように気をつけないとなあ。一人暮らしだし、なにかあったらいよいよまずいので、せめて防災バッグでも作ろうかな。今のうちに震災を受け入れて、対策しておかないと、次こそ命を落とすね。Twitter見てる場合じゃないわよ。ほんとに。