幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

店舗にいないメイドは、果たして「メイド」なのか?

営業自粛が続いている中で、自分の立ち振る舞いに悩む機会が増えた。今、自分がお店のためにできることは、徹底した引き籠もり生活とSNS(主にTwitter)のふたつだけなのだ。しかしこれは普段のルーティーンとは相反しており、妙に心がムズムズする。なんとなく居心地が悪い。居場所がないような感覚にすらなるのだ。


私はすべての出来事をパターン化していく癖があり、ひとつでもルーティーンが崩されるとモヤモヤしてしまう。なにかを経験したら、その時の反省点を探し、自分の中に落とし込み、その後もアプローチを変えながら適切な振る舞いを探ってゆく。こういう流れでしか生活することができない。

 

たとえばお給仕中でも「今買い出しに行こうかな」とか、ひとつ思い立った後に

買い出しに今行った場合のメリット・デメリット→これを今行った場合の周りの反応→他の人ならどう行動するか

など、すべて考慮した上で選択して行動する。これは意識しているわけではなく、自然とそうなっている。不安だから、毎回真剣に考える。常に最善、誰にとっても不利益が少ないように行動したい。頭の中で常に天秤がぐらぐら動いているような緊張感がある。

もちろん元々抜けている性格だから、より慎重にならなくては、みたいな気持ちもある。そういう自分ルール。もはや今更だが、この性格ホントにめんどくさいですよね。分かってはいる。


で、つまりなにが言いたいのかというと

この自粛している期間というものは、普段の日常と大きくかけ離れている。それなのに普段の日常と同じようにTwitterを更新し続けることに違和感がある。そういうことなのかなと、さっき気付いた。


私はTwitterに関して、いくつかのマイルールが存在する。文章の書き方も、使う言葉も、写真の質も、RTひとつにしても、ぜんぶが自分やお店の総合的な印象に繋がってゆく、という意識が強い。そして自分の望まない印象にならないため、つまり見誤らないためには絶対安心のルールが必要なのだ。パターン化でしか生きられない私にとって、私の中のルールというものは、私に対して絶大な効力を持っている。

みことのTwitterは「メイドカフェメイドさん」のアカウントなので、お給仕もしていないのに更新すること自体が不安な気持ちになる。メイドの自分というものは、メイドをしていないと出てこないから、自宅にずっといながらメイドとして立ち振る舞うツイートをすることって本当にできるのかな?という不安。毎日お給仕しているメイドさんとしてのツイートも自撮りも、そこにはひとつもないんだよ。お給仕ができないから。そう考えるとぞっとする。

逆に、たとえば「会えない代わりに毎日顔出しツイキャス配信」みたいなことをしたら、慣れてないことしたせいで底の浅さが透けてしまう未来が見える。「月詠みこと」というメイドの価値が下がってしまいそうな気がするんだ。。。

いや、そんなこと言ってる場合じゃないのは分かってる。分かってるんだけど、良かれと思っての行動が今後ノイズになってしまう可能性を感じてしまうくらいなら、全然やりたくないんだ。ただそれだけ。


最近はリモートメイドカフェなども流行っているようだが、それも果たして「メイドカフェ」なのかな?と疑問に思う。

お給仕って、お給仕してるからお給仕なんですよ。語彙が死に過ぎている言い回しで申し訳ないが、もはやこの一文で分かってほしい。

メイドさんは会話する以外にもやることが少なからずある。そういう部分も含めてメイドさんで、そこから受ける印象みたいなものは少なからずあるはず。私は昔推していたメイドさんの好きなところのひとつに「いつどんな時でも、入店したらすぐに小走りで荷物カゴを持ってきてくれる」というのがあった。どんなにお店が忙しくても、お話できなくても、今日も推しが親切なメイドさんで良かったな。と思えた。

これは極論だが、それってリモートじゃ感じ取れなくないか?みたいな。


いや、そもそもリモートするのって非常事態だから、というのは百も承知だ。今後存続が難しい店舗さんだってきっとある。

リモートメイドカフェの取り組みが悪いとはまったく思わないし、むしろこうやって新しい文化が生まれてゆくのだなと感心している。営業ができない間にできることをする、そういう仕組みは素晴らしいことだと思う。ただ今までとまったく違うから、私の心がまったく追いつかないだけ。


Twitterだけ頑張るしかないにしろ、オンラインお給仕にしろ、それって今まで知っているTwitterともお給仕とも、すべて別物なんだ。ただただ戸惑っている。自分の中の「メイドカフェ」のパターンにないことだから。

はやくこの空気に慣れなきゃなという気持ちもある反面、慣れて良いのか?という問いもある。なんとなく行動しちゃいけない気がする。この時代の空気感の中で、自分はどうやって動いていくか、そろそろ真剣に見極めなくてはならない。

 


まあこんなこと考えてる時間に、将来役に立つ資格の勉強でもしとけって話ですよね。それが一番現実的だ。お給仕できないせいで、こんなことばかり考えてしまうのだ。早くお給仕がしたい。私はメイドだから。