幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

解けた紐、リセットされた脳

今日は久しぶりに外出した。そのせいか、人生振り出しに戻ったかのような無力感に襲われまくった。何年生きてるの?って感じだけど、すこしでも社会から離れると、出来ていたことが出来なくなる。

化粧をして、外に出て、歩いて、電車に乗って、人と会話する。これだけのことで非常に疲れてしまい、最終的に心もなんかダメになった。なんかダメとしか言いようがない、そんなダメ感。帰宅してから「そうだ、ニート適正がありすぎるからたくさん働くようにしていたんだっけ」と思い出した。


生活が難しい。社会に向いてない。人が苦手。この辺のぼんやりとした生きづらさは常に抱えているんだけど、これらを真正面から受け止めて生きていくことはできない。だから自分の頭を少しずつ騙して、ぼかして、周りとずれないようにチューニングして、その状態を保つように暮らしている。

保つためには常に現実を見て、余計なことを考えたりしないのが一番良い。手っ取り早いのは、たくさん働いて、職場にいる時間を増やして、いろんな人とコミュニケーションを取ること。良くも悪くも思考を停止させる。忙しいと無駄が消えていく。やるべきことをやるために、無駄な容量が削られていく。


この営業自粛期間には、これらがなにひとつ叶えられない。自宅にいるうちに、調節していた感情がリセットされ、上手くいかなくなったことに気付いてしまい、それなりに凹んだ。


この半年くらいは、今までの人生で一番健康な精神状態だったように思える。生きることへの不安も疑問もなく、毎日目の前にある「やるべきこと」に取り組み、ただ暮らせていた。それは幸せなことだと思っている。

生きたいと思えること、生きることへの不安がないこと、それだけでハナマルなんだ。さらに周囲へ感謝の気持ちを向けられるほどの余裕もあり、その気持ちが持てることにも感謝できて、こんなに幸せでいいのかなって怖いくらいだった。


これは全部チューニングが上手く行っているおかげだからと、分かっていたはずなのに、今になって「自分自身を見誤っていたんだ」と気付いてしまった。自分はひょっとしたら、大丈夫な人間なんじゃないかって勘違いしかけていた。本当は足りないところがたくさんあって、そいつらをなんとか掻き集めて、必死に大丈夫なフリをしてるだけだった。そんなことも忘れるところだった。

人間は誰しも不安を抱えていて、全てが大丈夫な人なんて居ないって分かってるんだけど、ちょっと外に出ないだけでいろんなことが難しくなった自分は、とんでもなくダメダメだなって感じて、悲しくなった。


緊張の糸が一度解けてしまうと、あとは土石流のように疲労感が流れこんでくる。しなくていい間違い探しが脳内で始まる。

こんな無駄なこと考えずに居たいのに、暇な時間があればあるほど考え込んでしまう。


こういうことをブログに書くと、優しい人たちから心配されてしまいそうだけど、安心して欲しい。病んでるんじゃない。心配されたいわけじゃない。ただ私は自分の気持ちに向き合って、言語化することで、この漠然とした息苦しさを「文章」に変換できる。みっともないものをみっともないまま放っておくより、形にしてしまった方が良い。苦しさから生まれたアートみたいなもんだと思って割り切る。そういうモチベーションのおかげで、少しだけ前向きになれるのだ。


私は大丈夫。大丈夫。

今日はどうぶつの森をやって、そんで早く眠って、この心をリセットするんだ。


夢の中では幸せでいられますように。

明日はまた健康になれますように。