幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

死にかけのカラス事件

幼少期の頃から、人の気持ちを考えることが苦手だった。感受性は人一倍豊かなクセして、自分や他人の心の動きはよく分からないのだ。

幼稚園の読み聞かせの時間に感情移入しすぎて泣いたりするのは日常茶飯事だった気がするが、なぜそこから学んだ感情が対人関係に活かせなかったのかは謎である。

できないことはできないと諦めて、もうそういうもんだと思うことにした。パターンを学んで、ひたすら他人に失礼を働かないように心がけている。


さて、そんな幼少期の私は、それなりにイヤな子供だったような気がする。意図せずに人を傷つけるようなことをしてしまうことが非常に多く、友達や家族を何度も怒らせたり泣かせたりしてきた。

私は他人を攻撃する気持ちなど、ほとんど持っていないのに。

当時は「なんで泣いてるんだろう」「なんで怒ってるんだろう」と不思議でしょうがなく、同時に漠然と「よくわからんけど、嫌な気持ちにさせて申し訳ないな」と思っていた。解決はできないのに、罪悪感だけが募っていく最悪のパターン。


私は人に対して「なぜそう思ったの?」と聞きたくなることが多いのだが、そういう聞き方をすると、場合によって相手の心が炎上することを学んだ。やらかしたときは、気持ちを逆撫でしないことに力を入れてきた。

そのマイナスをゼロにする努力を始めるきっかけになったエピソードがある。忘れもしない、小学3年生の頃。この記憶だけ、何故かはっきりと覚えているのだ。

 


その日は、親友のA・クラスメイトのBと3人で下校していた。自然の多い一本道を、いつものようにのんびり歩いていた時のことだ。


見通しの良い道の先に、なにかが落ちていることに気付いた。なんだろうね、と3人で近づいて見ると、なんとその物体はカラスだった。ほとんど動かないカラスがじっと横たわっていたのだ。そのカラスは少し傷を負っていたが、まだ息はあるようだった。

カラス、というか生き物が横たわっている光景を初めて見た私たち。その初めて遭遇する異様さに「どうしよう」の空気がものすごい速さで蔓延していくのを肌で感じた。

しかし、イヤな子供だった私も、根は動物が好きな心優しい少女。動物が倒れているなら、助けないわけにはいかない。他の2人も同じ気持ちだったに違いない。


3人で協力して、そのカラスをどうにか助ける努力をした。Aは自宅からタオルを持ってきて、タオル越しにカラスを掴み、道の傍に移動させた。それ以上なにをしたらいいのか分からないまま、とりあえずカラスに向かって「頑張れ」と声を掛け続けた。それしかできなかった。ただ悲しかった。

 


結果、これ以上のことはできなかった。近くを通りかかった先生に相談したら、「このカラスにできることはないよ」と申し訳なさそうな顔で言われてしまった。野生の動物を助けることは、思ってた以上に難しいことを知り、私たちは諦めた。せめて安全な場所に移動させただけでも、カラスにとって悪いことはなかったはず。そう思うことにした。


その後、3人でボソボソ会話をした。カラスかわいそうだね、みたいな話。みんな顔が暗かった。お通夜みたいだった。


次第にAは涙ぐみ、そしてこう言った。

「私が飼ってたハムちゃん、最近死んじゃったんだ。あのカラスも死んだら、天国でうちのハムちゃんと仲良く遊んでくれるかな…。」


BはAの頭を撫でながら、Aの話を聞いていた。

 

f:id:midorofu:20200413062743p:image


私はAに向かってこう言った。

 

「いやカラスは肉も食べるしハムスターよりもサイズがかなり大きいから仲良くするってのは無理な話なんじゃないかな(笑)」

 


Aはそのまま号泣した。私はBにめちゃくちゃ責め立てられた。なんでそういうこと言うの?!?!と大きい声で怒られて、さすがに「ヤバさ」を感じた私は「ごめんね」と言った。そう言わないと殺されると思った。

さすがになんで泣くの?とは聞けなかった。これ以降、人の気持ちを逆撫でしないように気をつけるようになった。思ったことをそのまま言ったら人を泣かせる、という経験は自分の心に深く刺さった。

 


Aちゃん、元気かな。

今からでも謝罪しに行きたいな。

 

 

 

それでは、今日も元気に頑張りましょう。