幸福な猫

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新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

悪いことはしちゃいけないよ【前編】

小学生の頃、習い事の一輪車クラブでいじめに遭った。何故あっさり話せるかというと、精神的なダメージは殆どなかったからである。たまに人と話してる時にこの話題が出ると、話し相手に気まずい顔をされてこちらが気まずくなっていた。申し訳ないので、今は人様にあまり言わないようにしている。

ただ、今の自分がどうやって形成されてきたかを語る上で、一輪車での経験は話さざるを得ない事柄のように思えた。一度文章にして視覚化してみたかった。


一輪車とは、フィギュアスケートのように音楽に合わせて演技を構成し、衣装を着て人前で披露する競技。それを長いこと習っていた。いや、明確な審査基準などが存在しないような世界にも思えたので、競技と呼んで良いのかは甚だ疑問である。

一輪車の世界のことを端的にいうなら、金銭の発生しない、品のない芸能界。そんな感じ。ステージママと、その娘たち、まあスクールカーストの上位にいるような女の子しかいなかった。長年続けていたが、まともな人間には1人も出会えないまま終わった。

いや、もしかしたら、ちゃんとしたスポーツとして取り組んでいる方もいらっしゃったのかもしれない。ただ私は、そういう人たちとは知り合えなかった。それだけだ。

くだらない競争、見栄の張り合い、本当にしょうもなかった。が、私が一輪車を頑張りたい気持ちとは関係のないことだから、無視してやりたいようにやっていた。


そう、当たり前の話だが、私は一輪車が上手くなりたいから一輪車を習っていた。極端な話、それ以外の有象無象は本当にどうでも良かった。しかし他の子たちは派閥を作ったり、徒党を組んだりして、一生懸命誰かの気を引こうとするのだ。そのためにひょうきんに振舞ったり、不真面目な態度を取ろうとする。そんなことが技術の上達に繋がらないことは、子供の私にも理解できた。お友達を作りに行く場所でもなく、みんなの行動が鼻についたので、お友達を作ろうと思わなかった。

「当たり前に真面目に練習するのが一番良いだろ。彼女らは何をしにきているのだろう。」その気持ちは恐らく態度にも表れていたので、めちゃくちゃ感じ悪く見えたと思う。反省もしてないし、こういう言い方も難だが、まあいじめられるのも納得。いじめってすごく不公平で嫌いだけど、彼女らの動機は理解できた。


この時、私の所属していたクラブのボス的存在は、同い年のAちゃんという女の子。すごくかわいくてちょっとチャラくて面白い、一輪車の技術面でも頭ひとつ抜けていた。

ふざけた態度の練習をAちゃんがすると、みんな笑いながら真似をする。私はやりたくないので真似をしない。そういうことの積み重ねが、反感を買ってしまったらしい。Aちゃんが「みことちゃんをいじめよう」と言えば、みんながいじめる。右向け右。全員から存在しないものとして扱われたり、冷たく当たられるようになっていった。


当時の私は、クラブに入ったばかりで一番下手だった。周りと馴染めなくて技術の無い奴は、迫害される。まあ雑魚だもんね。そうなるよね。最初は少しびっくりしたけど、何日かしたら「そもそも交流のない奴らに無視をされても、それは今までとなんら変わらないのでは?」と思うようになり、淡々と練習に通っていた。今じゃ考えられないけど、本当に気にしなかった。


私の味方は母だけだった。一輪車の練習は夜遅い時間に行われることも多く、保護者同伴が基本だったのだ。子供の数だけ親もいる。今思い返すと、ちょっと異様な光景だったな。

つまり私をいじめていた子たちの母親は、自分の子供たちが誰かをいじめていても黙って見ているような人たち。子供ながらに「本当にいいの?」と思った。自分の子供が人様をいじめていたら、嫌じゃないのかなって。

何よりも、それを全て見なくてはならない自分の母に対して、非常に申し訳ない気持ちだった。娘はいつもいじめられている。それを見て見ぬ振りする周りの大人。何をするにもいつも2人ぼっち。そんな中でも、私の練習には毎回付き添ってくれた。母は相当厳しい精神状態だっただろうに、私の気持ちを汲み取ってくれて応援してくれた。私の心は、ただ一輪車が上手くなりたい、それだけだった。


いじめられても弱気になることはなく、彼女らに腹を立てる毎日が続いた。こんなにくだらないことを全員で行い、練習中にふざける彼女らは、一体何をしにきているのだ?一輪車の練習にきてるんだから、一輪車をやれ。常にそんな気持ちだった。練習の邪魔だった。

いじめられていてもこんな感じだったから、私は私で相当負けず嫌いだったのかもしれない。今だって、負けるのは好きじゃない。

当時の私にできることは、ただ上手くなることだけだった。好きだからやっていることを、他人のせいで辞めようとも思わない。一刻も早く追いついて、追い越さねばならぬ。そういう気持ちだった。

 

 

そんな中、友人の通っているダンススクールに入らないか、というお誘いを受けた。よく話を聞くとそのダンススクールは、なんとAちゃんを始めとした一輪車クラブの女の子が3人所属していた。


私は二つ返事でダンススクールに加入した。ダンスを習ったら一輪車にも絶対に良い影響があると確信していたからである。表現技術を身につけるために、ダンスを習うことを決めた。

一輪車、ダンススクール、このふたつの習い事で、自分をいじめている人たちと会う日々が始まった。

 

 


続く