幸福な猫

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新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

悪いことはしちゃいけないよ【中編】

この記事は昨日の続きです。

前回→悪いことはしちゃいけないよ【前編】 - 幸福な猫

 

最初に補足

・ここに書かれているのは、すべて小学生の時の出来事です。私は小学校中学年くらいだったと思う。

・一輪車クラブの指導者について触れていなかったが、今思うとこいつが一番人としてヤバかった。お話にならないほどなにも出来なくて、クラブ内で迫害されつつある、もはやなんの権力も持たないおじさん。しかし、えこ贔屓だけはちゃっかりする。なんでやねん!!!(張り手) 私はこいつとも折り合いが悪く、よく喧嘩していた。(一輪車に携わる人、大体折り合いが悪い説) 脳内から記憶を消していたので、本気で書き忘れていた。在籍させてくれて、練習場所をくれたので、もちろん感謝はしています。

 


本題に戻ります。

 

 

 

いじめの主犯A含めた、一輪車クラブのメンバーが3人も通うダンススクールに、私も通うことになった。そのダンススクールのキッズ部門会員は、私を含めて全部で8人くらい。かなり小規模なところだった。そこに入っていく私…。

今思うと正気か?って感じだけど、当時は「だるいけど、まあ他人は関係ないしな」と気にせず加入。図太い子供だった。この頃は、本当に他人への興味がなかったんだろうな。

ここに在籍している私の友人Bは、近所に住む年下の女の子。このダンススクールではAと仲が良いらしく、マジかよと思った。Aは年下のB、Cを取り巻きのように従えて、ここでも女王様のように振る舞っていた。


最初の頃は、何も問題なかった。いつも通り、Aが私に多少強く当たるくらい。そういう日がちょっと増えただけ。私はダンスという分野に初めて触れて、それなりに楽しく通っていた。


ダンススクールの発表会の直前、衣装を着て練習する際に、生徒みんなで着替えていた時のこと。先生が「みことちゃん、着替えが早いね〜😃」と何気なく言ってくれた。すぐさま、Aが私のことをめちゃくちゃ睨んでくる。え?私が何をしたというのだ???

次の練習からは、Aが死ぬほどスピーディーに着替えるようになった。負けないんだけど?みたいな顔で着替えていた。私はただ「こんなに気が強いと大変そうだな」って心配になった。着替えが遅くても死んだりする訳じゃないのに…。

 


そして、ダンススクールに加入して3ヶ月後。私は初めての発表会に出演する日を迎えた。本番当日のスキマ時間、Aはおもむろに私たちを意地悪な笑顔で手招きした。そして、その表情のまま、こう言った。「Dちゃんのこと、みんなでいじめよう!」

き、きたーーーー!!!!こいつはどこにいても、やることが同じなのだと悟った。

続けて「私がこのサイン出したら、みんなで無視してね!」とのこと。サインは、中指を立てるハンドサイン。子供の私でも、それな良くないサインなのは理解していた。普通に「品がないな」と思った。


Dは、同じダンススクールに通う最年少の女の子。たしか当時、小学校1年生くらい。ちょっとつんけんした物言いと元気な性格が、周囲の反感を買ったようだった。しかし発表会当日、しかも自分たちよりもうんと年下の女の子を、わざわざ集団でいじめようと言うのか?なんだこいつ。大人気ないAに対して、すごくうんざりした。圧倒的に体格も精神年齢も違う子供に対して、そんなことするのは最悪だと思った。


私は一周して、あまりの汚さにちょっと感心した。一輪車では私のことを集団無視し、違う場所では私にそれをするよう強要してくるのだ。なにもかもおかしい。同時に、彼女らのDに対する愚行を見ながら「私にするのと同じ手口やん」と気付き、意外とワンパターンなんだな。とかぼんやり思った。


私はその日1日、いつハンドサインが出されるかわからない不安が常に付き纏った。ハンドサインが出されたら、自分はどう立ち振る舞うのだろう。一緒に無視したら、Aと同じ。一輪車で自分をいじめてくる人たちと同じ。それは嫌だった。なによりも、幼いDのことを自分が傷付けるのは嫌だった。

しかしハンドサインが出されることは一度もなく、ただAが取り巻きのB、Cと一緒に、Dに冷たく当たっていた。それらを止めることはできない自分に、もやもやした。

 


発表会以降も、AたちはDに冷たく当たっていた。そのことを幼いDが気にしない訳がなく、しばらくしてDはスクールを辞めた。他にもいろんな子がいろんな事情で辞めて行き、気がついたら生徒は自分含めて4人になっていた。A、B、C、私の4人。

そしていつの間にか、私はBとCからいじめのような扱いを受けるようになった。あからさまに無視されるようになった。近所だから一緒に行き帰りしていたのに、それも無くなった。


もうここまできたら、私もめんどくさかった。君たちはなんなの?と。いじめによる心の傷とか怒りは一切無く、ただその環境がめんどくさかった。Aの指示で私に冷たく当たる彼女らが可哀想に思えた。その輪の中に自分が組み込まれることが心底嫌になり、ダンススクールを辞めることにした。

辞める際、スクールの先生に「負けちゃって良いの?」と言われた。なんだそれ?!

こんなくだらない人間関係に勝ち負けはないだろう、と本気で腹が立った。いじめ自体が理不尽なことなのに、それに耐えることを「勝つ」と形容するのはなぜ?いじめ自体は認めてるってこと?こいつ、バカなのか?いじめそのものよりも、こういうことを言ってくるくせに何もしない大人が一番嫌いだなと思った。

 


私は一輪車ができれば良い。原点に立ち返り、より一層精進するようになった。

 

記事中に書いていなかったが、集団無視を始め、一輪車のタイヤが目を離した隙にパンクさせられたり、ちょっとした実害は続いていた。やっぱり私の心は傷付いていなかった。靴に画鋲が入ってるのがいじめだと思っていた。体も心も痛くないから、いじめられてる感じはなかった。私は自分の世界に閉じこもるのが上手だった。

私よりも全然上手いのだから、格下をいじめるなんて恥ずかしいことせずに、堂々としていればもっとカッコいいのにな。そんな気持ちで練習していた。

 


そして、ある日突然、一輪車クラブに転機が訪れる。

 


明日に続く。

 

 

 

(超余談だが、そのダンススクールは私が辞めた後にCがいじめられて退会。スクールはいじめによってどんどん人数が減り、最終的にキッズ部門は畳んだそうだ。ひとりの小学生によってスクールが無くなったのはちょっと怖い。)