幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

当たり前なことはひとつもない

最近、人様に優しくできている自信がない。家族友人お客さん、あらゆる人に今までより冷たい態度をとっていないかすごく不安になる。

これまで人から「優しい」と言われることが多い人生だった。正直「そんなことない」と思ってしまうことが多く、優しさについて考え込んだこともたくさんある。けど、言ってもらえるということは、まあなんとなく優しい人っぽく見えてるのかな。それくらいの感じで受け取ることにした。

そう言ってくれる周りの気持ちを汲み取りたくて、自分自身も人が喜んでくれそうな言葉や態度を選んで生活しているつもりだった。しかし最近の自分を振り返ると、なんとなく前よりもできていないような気がしてならない。ただの思い違いだったら良いのだが、毎日不安になる。


モヤモヤした結果、周りの人間から近いうちに愛想を尽かされてしまうんじゃないかな、みたいな不安が常にほんのり付き纏ってしまうようになった。これはあんまり良くない。良くないから、文章にして頭を整理している。


ちゃんと関わる人たちにはなるべく好かれていたいし、なるべく優しくされたい。それが自分にとっての正しさに近いような気がするから、関わる人たちを好きでいたいし優しくしたい。されたいことはしていかないといけないからである。

それは今の自分のスタンスを作ってきた大きな原動力。この何年か、常に心掛けていたいことのはずなのに。ここにきて自分自身にそれを問い掛けて、言い聞かせていかなくてはならないこと、それすら恥ずかしいことのように感じてしまう。


無条件で注がれる愛情など存在しないのだと思う。世の中には本当の意味でのタダなんてないんだよ。

これは難しいことではなく、ごはん屋さんで調味料や皿を取ってくれる人にちゃんとお礼を言ったりとか、そういう些細なことから、もっと大きいものまで、人から貰ったらなにかを与えなくてはならないのだ。そしてまた、なにかを与えなければ貰うことはできない。いや、こんな言い方は良くないのかもしれない。。。

しかし、いつか"してもらうこと"が当たり前になってしまってからでは遅いのだ。なんでしてくれるのか、してくれないのか、そして自分はなにをして、なにをしていないのか。人の世界は簡単なことの積み重ねで、一度崩れてしまったら戻らないんだ。気を抜いたことに気付いたときにはもう遅い。そういう風にできている。