幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

理屈は弱さの現れ

皆様おはようございます。

明け方に考え事をしていたら、脳がハイになって眠れなくなってしまいました。

今の感情は今言葉にしなくてはならない。僭越ながら本日も自分語りをさせていただきます。

 


今回は、自分の視野の狭さについて。

以下本文

 

 

 

私は視野が狭いものほど理屈っぽく考えてしまうのではないか。分からないから、無理やり理屈をこねくり回す。それっぽい結論を見付けてなんとなく安心する。この作業は物事の本質を見抜けている場合にはきっと必要ない。なんとなくそんな気がしてきた。

だって、お給仕中に起こる大体の出来事に、腹を立てたりとかいちいち悩んだりしない。それはそういうものなのだと思えるくらい、長年培ってきた十分なデータが自分の中に揃っているから。考える作業が不要なくらい、脳みその癖みたいに染み付いている。

 


私の苦手なこと。読書、映画・アニメなどの鑑賞。人の気持ちを考えること。恋愛や性別について考えること。

これらには人生を豊かにするための物事がたくさん詰まっていて、こう並べてしまうと胸にくるものがある。みみみになった。

いや、そんなことはどうでも良くて。

 


私はこの3つに、それぞれにハッキリ「苦手だな」と思える理由が存在して、なぜ苦手なのかをいちいち説明できる。

でも、さっき突然思ってしまったんだ。だから何だと。説明できたら何になるのかと。

自分の感情を自覚することが苦手なので、何故なのかと考えて答えを出すところで力尽きてしまっていたが、ここで立ち止まっていては何も解決しないよなと。すごく当たり前のことに、なぜ今まで気付けなかったのか。それは視野が狭いからなのだ。

 


たとえば、人の気持ちを考えることができる人は、なぜ考えることができるかなんて考えなくてもできるんだろうなと なんとなく思うのだ(ややこしいですね)。

私は幼少期から苦手だった自覚があり、意図せず他人を傷つける機会が本当に多かった。感受性が豊かだったくせにわからなかった。

私は攻撃する気持ちなど持ってないのに、なんでこの人は攻撃されたような態度を取るのかと。正直ずっと不思議だった。※1

他人から負の感情をぶつけられるたびに「こうしたから人は嫌な気持ちになるのかな」と考えて、パターンで学習して、対処法を学んできた。その繰り返しのおかげで、社会にそれっぽく居座らせて頂くことに成功している(できているか結構不安)。

で、この場合、私は悲しんでる人の気持ちまであまり理解ができないから、今後はやめとこ、くらいの対処しかできない。本質の理解ができないから理屈のパターンばかり増えてゆく。もっと立体的に事象を捉え、人様を大切にしたい。でもわからない。うーん。なんかそういう矛盾の中で生きている。

 


私は自身の成長のため、できない理由を探す旅はそろそろ終わりにしなくてはならない。人は考えることができるのだから、考えなくてはならない。まだ生きたいから精進しましょう。まずは本を読めるようになるところから。

 

 

 

 


とっても蛇足↓

 


※1 …小学生くらいの子供は自分ルールを強く押し付けてくる人が多いので、みんな平気で泣いたり怒ったり嘘をついたりしてくる。私はその理由が分からなくてずっとぼんやりしていた。今思えば私も最悪な子供で、人に失礼なことをたくさん言っていた。