幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

若かりし頃の遺産

部屋の断捨離をしていると、色々なものが見つかる。要る物、要らない物、その時の気持ち、見つけてゆく中でなんとなく「宝箱みたいだな」と思った。いや実態はただのゴミ部屋なのだが。気持ち的なことですよ。ご主人様方にも「みこと遺産」とか言われたしね。


一番面白かったのは、昔描いてきた絵、イラストたちだった。部屋の至るところから大量に出てくる。長いことお絵描きが好きだったから、いろんな場所に挟まっているのだ。ちゃんとしたのも、ちゃんとしてないのも、全部。勉強したわけでもなく、同人誌を作るわけでもなく、特殊な技術があるわけじゃない私は、絵への自信は全然なかった。だからお絵描きって言いがち。趣味は絵です!と言えるほどのものなのかなと、恥ずかしくなる時があるから。


私の母は芸術を愛する人で、私の絵にも結構的確なことを言いながら見守ってくれたことを思い出した。母はよく、好きな漫画のキャラクターを描く私を見て「あなたのイラストはお人形さんだね。ただ立ってるだけ。」と笑っていた。嫌な気持ちは一切なく、たしかに私はお人形さんしか描けないなあと実感していた。もっと絵が上手くなりたいとか思うことも、美術の学校に行きたいと思うこともあったが、結局思うように技術を習得できなかった気がする。


自分の中での絵は「なんとなく上手くいかなかったこと」みたいな記憶になっていたが、部屋の中から自分の絵を見つけて驚いた。

「自分の絵、かわいいな。」素直にそう思った。自画自賛したいわけではないが、ちゃんと描きたいものを描こうとしていたことが分かったから。絵も音楽もお笑いでも、すべての作品に対して、技量とかよりもその奥にあるなにかを見ているような節があるのだが(これは本当に感覚とか直感的なものなので突っ込まれると困るやつ)、当時の自分の絵の奥にはちょっとだけめんどくさいトゲみたいなものが見えて、それがすごく可愛らしく思えた。他の人の絵と並んでても、なんか浮いていたし。私は自分にできる範囲で、自分の描きたいものを描いていたのだが、その結果がコレならここまで悲観しなくていいと思った。

いや、実際下手だし大した才能もないのは分かっている。それでも頑張ってたことを知って、嬉しくなった。まあなにが言いたいかと言うと「絵を描くこと、思っていたよりもちゃんと好きだったんだな」と気付けた。それだけ。

 

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で、私はすごく単純なので、またお絵描きがしてみたいかもしれない、と思った。描きたいものがないので難しいが、ちょっと適当にリハビリしてみたい。もう絵の描き方など忘れてしまったが、でも描いていたときは出来たんだから。iPadも買ったし、Apple Pencilを買おうかな。いや、アクリル絵の具も好きなんだよな。そんなおめでたいことを考えてしまうくらい、なんだかワクワクしたのだった。昔の自分って今の自分と違うから、知らない人の作品みたいで余計にドキドキした。出来ることはたくさんあった方がいい。部屋のいろんな物を捨てる分、必要なもの、少しずつでいいから取り入れていきたい。