幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

矛盾 間違った学習

すげー苦しくなる。自分の中にある、無理をしてでも強くなりたいプライドの高さ、それに見合わない臆病な心。矛盾がエグい。

自分の考えるてっぺんまで登り詰めたとき、その上がなくなってしまうことが一番怖い。その場に居続けるか、登ってきた道にひとつ戻るか、どちらかしかない。到達した喜びはすさまじいが、いつか落ちてしまうことを考えたときの恐怖も同じくらい。父に昔「幸せな気持ちにも罪悪感を感じるようなヤツだな」と言われた。全くその通りで、もう少し素直に喜べれば、人生もっと楽しいかもしれないのに、と思う。

下りるのはプライドが許さないし、そこに居続けるためにはもっと無理をしなきゃいけない。どんなに上手くいっているように見えても、油断したら負けるかも。手放しで喜び、何も掴んでない状態で、蹴り落とされたらどうなるのか。とても怖くて、充分に喜べない。


時折そのバランスを保つことに限界が来て、どこにも居られなくなる。私はこれまでの人生、いろんな場所からぼんやりと消えていくようなところがあった。友人学校趣味仕事、生きていく上であるものすべて。私が苦しくなるのは、こういうゼロヒャクみたいな考え方しかできない不器用さなんだろうな。もう人生全てこうなんだ。完璧にできないならやらなくて良い。努力ができないのは許せない。中途半端に存在するくらいなら、どこにも居なくて良い。どこかに居たいなら、死ぬ気で存在しなければならない。

 

こういうめんどくさい自分によくドン引きするのだが、どうにも治らない。恐らくこれは、今まで間違った人生学習をしてきた時のツケだなと。そんなふうに思った。

パターンでしか学習できない私は、あらゆるものを見て経験して学び、そのデータをこねくり回し、正解を定義付けてゆく。物事がなんとなく上手くいかない時や、怖くなってしまう時は、大体昔の嫌なパターンだけ頭を過ぎる。しかしこれは、間違ったデータなんだろうな。なぜなら私の中で「嫌なもの」というイメージだけ付いているのだから、まったく広い視野で捉えられていないのだ。感情に振り回され、悲観的な側面だけを切り取り、自分の中のパターンとして落とし込み、それらを良くないものだと言っているだけ。正解がうまく見つかってない。一言で言うなら、できない理由を並べているだけ。相性という言葉で片付けるのは簡単だが、なんだか納得いかないなと思った。これではただの愚か者では。最悪だ。昨日まで思考が止まっていたのだが、ちょっと考えたら脳が止まらなくなり、いかに自分が浅ましい人間かを自覚させられた。


人は愚かでも浅ましくても生きてて良い。どんな人間にも魂があって、骨や内臓やらが乗っかり、それぞれ考える脳を持ち、みな好きに考えて生きているのだ。正解も不正解も善も悪も本当はないと気付いているのに、自分のプライドや拗れた部分が見させようとしない。早く取っ払わなきゃいけない。そしたら、無理をし続けるより、もっと強くなれるかもしれない。