幸福な猫

幸福な猫

新宿のメイドバーでお給仕する月詠みことのブログです。

一緒に落ち込む程度の能力

人の悪意に触れるのが苦手だ。自分に向けられていない気持ちでも、自分まで苦しくなることがわりとあるから。

私は「共感力」みたいなものが高いのか、人の気持ちに入れ込みすぎてしまう時があって、そういう時は自分でも自分が怖くなる。しかも負の感情に共鳴しやすい、気がする。他人の辛かった話を聞いて泣く、他人が泣いてると一緒に泣く。自分自身の辛かった経験が心にへばりついているせいか、ふとした瞬間に「ウッ」となるのだ。


普段はなるべく穏やかに暮らしているのだが、過去のトラウマなのか、やっぱりよく怒る人は苦手だ。人が怒っているだけで、自分に関係がなくたって苦しくなる。怒られている人を見て、自分まで怒られているような気持ちになる。もちろん自分に感情をぶつけられたら、さらに苦しい。不穏な空気が漂った時点で、動悸が止まらなくなる。自分がこれだけ繊細だからこそ、個人的な感情だけで人を傷付けようとしてはいけない。私はそう考えている。

(気をつけてないと、悪気なくても人の心を傷付けてしまうっぽいからね。そうなったら本当に嫌だから。やれやれ系主人公みたいな書き方したけど、事実だからマジでタチ悪い。マジでタチ悪い。)


私はかなり偽善的な心を持って暮らしているので、やっぱりみんな平和で幸せでいて欲しい。みんなというのは、地上に生きている人みんな。規模デッカ。もちろん無理なのは分かっている。が、やっぱり私は生きているのも苦しいような時期、どこにも希望がなくて視界がいつも真っ暗だった。もう二度とあんな思いをしたくないし、二度と味わいたくない感情がたくさんあるのだ。だからこそ、意図して人を傷付けるようなことはしたくないし、人にも傷付けられたくない。

 

で、何故こんなことを考えているのかというと、ネガティブな感情に触れる機会が増えて、つい苦しくなったから。この半年くらい、かなり健康な心と体で生活していたのですっかり忘れていた。自分の厄介な性格を久しぶりに思い出したのだ。

ここ最近はずっと自宅にいる。必然的に、人との交流の場もSNSくらいだが(交流しているかもちょっと謎)、そのSNSでネガティブな投稿を見かける機会が増えた。まあ、そうだよねと理解はしている。誰だって不安な時期で、心の余裕もなくなると思う。私だっていろいろと考える時間が増えた。みんなそうなんだ。しょうがないって分かってる。しかし他人へ攻撃したがる人を見かけるたび、自分が攻撃されてないのに「あー」って思う。これ、わざわざ書かなきゃいけないのかなと。見なきゃいいのかなって思うこともあるけど、こんなときだからこそ会えない人たちの投稿を見たいじゃない。ぼんやり鬩ぎ合う。うーんうーん。毎日ほんの少しずつ、もやもやが募る。


別に誰かに物申したい訳じゃない。何を発言しても良いのだ。ただ私が繊細なだけ。気になるのなら、他人を見て自分の行いを改めねば。そんな気持ちで毎日過ごしている。私もうっかり弱音を吐いたり、人様に「こんなこと言わんでいい」と思われるような発言をしていないか心配。ちょっと過敏になるよね。それを気に病むようなことはないんだけど、不安はある。こんな時だからこそ、人の気持ちに悪い影響がないように暮らしたい。


ああ。やっぱり文字だけじゃなにも分からないよ。自分の気持ちも、みんなの気持ちも。ちゃんと顔を見てのんびり話せた、当たり前だったはずの時間が恋しいですね。